嗚呼、青春の〝BOOWY″ その4「更なる追求」
2011年 04月 30日
前回の続きです
CASE OF BOOWY VIDEO版で、〝GIGS″を目のあたりにして
かんぜんにトリコになってしまったわけですが、
やはり他のアーティストとは明らかに違ったのが、
BOOWYを聴くようになって、ギター、ベース、ドラムそういったバンド形態の重要性。
前回も触れましたが、バンドとはボーカルがメインとはいえ、
そのボーカルを引き立てつつも、ちゃんと個性があって主張があり、同調があり
メンバーそれぞれが起こす化学反応によって、音源だけで聴いても
もしかしたらわかりえない、そのせめぎ合いや一体感が
今までの自分なりの常識のすべてを塗り替えていました。
必然的に間奏はそういったボーカリスト以外のメンバーの個性が色濃く出る魅せ場という風に
ボーカルのヒムロック(氷室京介)は、もちろんバンドの顔であり、その代わりのいない「声」や「ルックス」は
誰をも惹きつけるカリスマを当時から備えていましたし、人気度は群を抜いていましたが
それよりも目を引くようになったのがギタリストの存在。
失礼ですが、BOOWYに出会うまではただの伴奏要員、バックバンド。という意識がほとんど。
でも、〝GIGS″の中で、ボーカルよりも目立ってるんじゃないか?と思えるような
立ち振舞い、そしてなによりBOOWYのほかのメンバーにも言えるんですが、
誰一人かけても成立しない、誰の代わりもいない、唯一無二の存在。
ちゃんと楽器隊にも、ボーカルに負けず、個性があり、カラーがあり、主張があり、色気がある。
そんなトータル的なサウンドを理解しようとすればするほど、
自分の目には、ギターってカッコいいな。と、ボーカルよりギタリストに興味を持ち始めたのも
布袋さんの影響でした。
長い長身に長いトサカ頭、長いストラップの下の方で構えた
今やシンボルとなった幾何学模様に先の尖がったテレキャスター。
そして、ステップを踏みながらファッショナブルな衣装を着た、
アンドロイドみたいなギタリスト。
ザクザク弾くギターはハートまで切り刻まれるようで、
シャープなのにワイルド。ひとつのコードの中に、
オリジナリティの溢れたセンスがいくつも散りばめられて
ライブになればなるほど更にそのアレンジは凄くなっていく。
今でも過去、現在、未来と、あんなにカッコいいギタリストはいないと思ってます。
音楽、そしてBOOWYを聴き始めた時には
意識して自分的には「ないな」と思っていた事、
エレキギター への道が徐々に開きはじめていました。
意識していたというのは、前回のブログにも書いた先輩のバンドや、友人のバンドを
見学したりしても、ギターや、ベース、ドラムといったものが、
おいそれと簡単にできるとは思えなかったし、なによりも楽器を買うお金もない
その後事情があり、自分もボーカルでバンドに参加するようになるんですが、
自分が歌ってても、この時はまだ、その感情は目覚めてなかった気がします。
自分とギターの話は、またの機会にして〝BOOWY″の話へ…
とにかく、好きになった年齢が違えば全然印象は違うかもしれないけど、
当時思春期で田舎の中学生の自分には、あの洗練されたバンドは
非の打ちどころがないほど完成された無敵の完全体に見えました。やっぱり伝説だなと。
ですが熱中にさせた原因の一つの衝撃的展開。
友人からきいた
「解散するんだよ。」
そう、1987.12.24あの運命の日。
なんていうかな、ファンだったけど雲の上の存在過ぎてすでに〝神格化″としてたからなのか、
まだ、〝BOOWY″を知って1年もたたずだったため、ピンとこなかったからか、
岡山そしてその市内からもかけ離れた地方ゆえ、今後も気軽にはライブなどに行ける機会もないだろうと、
交わることのない別世界だと思ったからなのか、
解散することによって、もうNEWアルバムの制作もなくなるのに、4人が同じステージに立つことはないのに、
その時は、バカっぽく
「かっくいい…テッペンで解散なんて、カッコよすぎる!\(*T▽T*)/」
と、哀しいショックよりも、そっちが上まわったと記憶してます。
でも、あんな散り方だからこそ、生ける伝説としていまなお君臨し続ける、一因もあると思います。
解散してもなお次々、掘り起こされ発表される映像や、音源、
「“LAST GIGS"完全版」「1224」「ROCK'N ROLL CIRCUS TOUR」「CASE OF BOOWY完全版」 など
ファンにはたまらないものも多いと思いますが、
当時はもちろん限られていて、正式に発表されていたオリジナルのアルバムが本当に宝物でした。
高校生になって、生まれて初めて買ったレコードは
デビューしたての「氷室京介/ANGEL」のシングルレコードで、
そしてついにCDを導入。
初めて買ったCDは、「氷室京介/FLOWERS FOR ALGERNON」
次に買ったのが「布袋寅泰/GUITARHYTHM」でした。
BOOWYは?って?
まだ、その時は友人に頼んでダビングしてもらったテープばかりで
1枚3,000円もするアルバムをやすやすとは買えませんでした。
でも、ファンの基本として、そっからBOOWYの過去に発表されたアルバムを、
少しづづ集めていきます。これが高校生にとってはしんどかった。
部活(今度は軟式野球部)もしてたし、
基本的にバイト禁止だったんで、(まぁバイトするような場所もあんまりなかったけど)
普段の小遣いを使うわけですが、上にも書いたように、
ソロになってもリアルタイムでどんどん活動してますからね。
そりゃ、それぞれCDも欲しいし、
情報源として雑誌も欲しい。
1~2ページでも買わなきゃ本屋の親父にハタキで叩かれるし、
部活やってりゃ喉の一つも渇きますわな~、腹も減りますわな~
参考書を買います。ノートを買います。英単語を覚えるカードを買います。学校で使う~ムニャムニャを買います。
もう言い訳がきく物はかなり使って、やりくりしてましたが、やっぱりそんなにすぐは買えなかったですね。
結局高校3年かけてやっと揃うか揃わないかだったと思います。
それでもそろった、MY BOOWY COMPLETE!!
まさか、そろった翌年あたりに
本当に未発表曲まで入った10枚組の
「BOOWY COMPLETE BOX」が出るとは思いませんでしたがΣ( ̄Д ̄;)
次回からも続けては無理かもしれないけど
ちょくちょくアルバムごとに分けて更新をしていこうと思います。
まとめて見る場合は
〝φ″~BOOWYのカテゴリーからどうぞ。
CASE OF BOOWY VIDEO版で、〝GIGS″を目のあたりにして
かんぜんにトリコになってしまったわけですが、
やはり他のアーティストとは明らかに違ったのが、
BOOWYを聴くようになって、ギター、ベース、ドラムそういったバンド形態の重要性。
前回も触れましたが、バンドとはボーカルがメインとはいえ、
そのボーカルを引き立てつつも、ちゃんと個性があって主張があり、同調があり
メンバーそれぞれが起こす化学反応によって、音源だけで聴いても
もしかしたらわかりえない、そのせめぎ合いや一体感が
今までの自分なりの常識のすべてを塗り替えていました。
必然的に間奏はそういったボーカリスト以外のメンバーの個性が色濃く出る魅せ場という風に
ボーカルのヒムロック(氷室京介)は、もちろんバンドの顔であり、その代わりのいない「声」や「ルックス」は
誰をも惹きつけるカリスマを当時から備えていましたし、人気度は群を抜いていましたが
それよりも目を引くようになったのがギタリストの存在。
失礼ですが、BOOWYに出会うまではただの伴奏要員、バックバンド。という意識がほとんど。
でも、〝GIGS″の中で、ボーカルよりも目立ってるんじゃないか?と思えるような
立ち振舞い、そしてなによりBOOWYのほかのメンバーにも言えるんですが、
誰一人かけても成立しない、誰の代わりもいない、唯一無二の存在。
ちゃんと楽器隊にも、ボーカルに負けず、個性があり、カラーがあり、主張があり、色気がある。
そんなトータル的なサウンドを理解しようとすればするほど、
自分の目には、ギターってカッコいいな。と、ボーカルよりギタリストに興味を持ち始めたのも
布袋さんの影響でした。
長い長身に長いトサカ頭、長いストラップの下の方で構えた
今やシンボルとなった幾何学模様に先の尖がったテレキャスター。
そして、ステップを踏みながらファッショナブルな衣装を着た、
アンドロイドみたいなギタリスト。
ザクザク弾くギターはハートまで切り刻まれるようで、
シャープなのにワイルド。ひとつのコードの中に、
オリジナリティの溢れたセンスがいくつも散りばめられて
ライブになればなるほど更にそのアレンジは凄くなっていく。
今でも過去、現在、未来と、あんなにカッコいいギタリストはいないと思ってます。
音楽、そしてBOOWYを聴き始めた時には
意識して自分的には「ないな」と思っていた事、
エレキギター への道が徐々に開きはじめていました。
意識していたというのは、前回のブログにも書いた先輩のバンドや、友人のバンドを
見学したりしても、ギターや、ベース、ドラムといったものが、
おいそれと簡単にできるとは思えなかったし、なによりも楽器を買うお金もない
その後事情があり、自分もボーカルでバンドに参加するようになるんですが、
自分が歌ってても、この時はまだ、その感情は目覚めてなかった気がします。
自分とギターの話は、またの機会にして〝BOOWY″の話へ…
とにかく、好きになった年齢が違えば全然印象は違うかもしれないけど、
当時思春期で田舎の中学生の自分には、あの洗練されたバンドは
非の打ちどころがないほど完成された無敵の完全体に見えました。やっぱり伝説だなと。
ですが熱中にさせた原因の一つの衝撃的展開。
友人からきいた
「解散するんだよ。」
そう、1987.12.24あの運命の日。
なんていうかな、ファンだったけど雲の上の存在過ぎてすでに〝神格化″としてたからなのか、
まだ、〝BOOWY″を知って1年もたたずだったため、ピンとこなかったからか、
岡山そしてその市内からもかけ離れた地方ゆえ、今後も気軽にはライブなどに行ける機会もないだろうと、
交わることのない別世界だと思ったからなのか、
解散することによって、もうNEWアルバムの制作もなくなるのに、4人が同じステージに立つことはないのに、
その時は、バカっぽく
「かっくいい…テッペンで解散なんて、カッコよすぎる!\(*T▽T*)/」
と、哀しいショックよりも、そっちが上まわったと記憶してます。
でも、あんな散り方だからこそ、生ける伝説としていまなお君臨し続ける、一因もあると思います。
解散してもなお次々、掘り起こされ発表される映像や、音源、
「“LAST GIGS"完全版」「1224」「ROCK'N ROLL CIRCUS TOUR」「CASE OF BOOWY完全版」 など
ファンにはたまらないものも多いと思いますが、
当時はもちろん限られていて、正式に発表されていたオリジナルのアルバムが本当に宝物でした。
高校生になって、生まれて初めて買ったレコードは
デビューしたての「氷室京介/ANGEL」のシングルレコードで、
そしてついにCDを導入。
初めて買ったCDは、「氷室京介/FLOWERS FOR ALGERNON」
次に買ったのが「布袋寅泰/GUITARHYTHM」でした。
BOOWYは?って?
まだ、その時は友人に頼んでダビングしてもらったテープばかりで
1枚3,000円もするアルバムをやすやすとは買えませんでした。
でも、ファンの基本として、そっからBOOWYの過去に発表されたアルバムを、
少しづづ集めていきます。これが高校生にとってはしんどかった。
部活(今度は軟式野球部)もしてたし、
基本的にバイト禁止だったんで、(まぁバイトするような場所もあんまりなかったけど)
普段の小遣いを使うわけですが、上にも書いたように、
ソロになってもリアルタイムでどんどん活動してますからね。
そりゃ、それぞれCDも欲しいし、
情報源として雑誌も欲しい。
1~2ページでも買わなきゃ本屋の親父にハタキで叩かれるし、
部活やってりゃ喉の一つも渇きますわな~、腹も減りますわな~
参考書を買います。ノートを買います。英単語を覚えるカードを買います。学校で使う~ムニャムニャを買います。
もう言い訳がきく物はかなり使って、やりくりしてましたが、やっぱりそんなにすぐは買えなかったですね。
結局高校3年かけてやっと揃うか揃わないかだったと思います。
それでもそろった、MY BOOWY COMPLETE!!
まさか、そろった翌年あたりに
本当に未発表曲まで入った10枚組の
「BOOWY COMPLETE BOX」が出るとは思いませんでしたがΣ( ̄Д ̄;)
次回からも続けては無理かもしれないけど
ちょくちょくアルバムごとに分けて更新をしていこうと思います。
まとめて見る場合は
〝φ″~BOOWYのカテゴリーからどうぞ。
by prime2006
| 2011-04-30 09:47
| 〝φ″~BOOWY